今歌舞伎ファンの間でジワジワ人気を集めているのが市川福五郎さんです!
爽やかなルックスが素敵な市川福五郎さん♪
実は小さな頃から歌舞伎役者を目指してひたむきに努力されてきた方なんです!

ということで今回は、
市川福五郎の出身高校や中学はどこ?海老蔵弟子のこれまでの経歴!
として、
市川福五郎さんの学歴、また歌舞伎役者としてのこれまでの経歴など、市川福五郎さんのこれまでの人生に迫ってみたいと思います!
市川福五郎の出身高校や中学はどこ?
市川福五郎さんの出身高校や中学に関する情報は、現在のところ明らかになっていません。
市川福五郎さんは、幼稚園の時に歌舞伎に興味を持ち、東京の歌舞伎俳優研修所に入所するために高校は1年で中退されています。
市川福五郎さんの出身高校や中学につながりそうな情報は以下の通りです。
【市川福五郎さんの出身高校・中学につながりそうな情報】
- 当時大阪に住んでいた(大阪出身?)
- 日本舞踊を習っていた教室は大阪天満のマンションにある
- 歌舞伎にもその他の古典芸能にも全く関わりがない家庭だった
- お金持ちという家庭ではなく、日舞のお月謝を払うことが苦しくなった時があった
- 中学校卒業時に東京の歌舞伎俳優研修所に入所することを考え始めた
幼少期に市川福五郎さんが通っていた日舞の教室は大阪の天満という場所にあったそうです。
大阪の天満とは、大阪市北区の地区の名前で、場所的には以下の地域です。
(少し分かりにくいですが、赤線で囲まれた地域です)
そして、2010年に関西テレビ『よ〜いドン!』の「となりの人間国宝」というコーナーに市川福五郎さんが出演された時、日舞の教室は大阪天満の「森藤コーポ」の一室にあると紹介されていました。
森藤コーポの場所↓↓
この教室にどのように通っていたのかは分かりませんが、いずれにせよ大阪市内の学校に通っていたことは間違いないのではないかと思います。
ちなみに8月17日付のフジテレビューのインタビューで当時の家庭環境を、
- 歌舞伎にもその他の古典芸能にも全く関わりがない家庭だった
- お金持ちという家庭ではなく、日舞のお月謝を払うことが苦しくなった時があった
とお話しされていましたので、芸事に力を入れている私立の学校などではなく、一般的な公立の学校に通っていたと推測することができます。
また、中学卒業前に進路を考えた際、東京の歌舞伎俳優研修所に入所することを考えたそうですが、その年は募集がなかったということで高校に1年間だけ通われ、中退しています。
このことからも、高校も公立高校であることが予想されます。
市川海老蔵の弟子、市川福五郎のこれまでの経歴
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(どことなく自撮りの撮り方が師匠に似ている♪)
2019年に念願叶って成田屋に入門した市川福五郎さんのこれまでの経歴をまとめてみました!
幼稚園時代
市川福五郎さんが歌舞伎に興味を持ったのが幼稚園時代です。
たまたまパソコンに流れてきた歌舞伎の宣伝を見て、「怖いけどかっこいい!」と歌舞伎に興味を持つように。
「どうせならちゃんとした物を」とお父様が大阪松竹座の公演『スーパー歌舞伎 ヤマトタケル』の鑑賞に連れて行ってくれ、観劇後には「歌舞伎役者になる!」と宣言されたそうです。
その後、新橋演舞場にも連れて行ってもらい、後に師匠となる市川海老蔵さんの舞台を観劇したことで成田屋の芸と荒事が好きになり、古典にも興味を持つように。
小学校時代
小学校2年生の冬に、お父様の会社の宴会に来ていた芸妓さんに日舞を習うことを勧められ、日本舞踊を習い始めます。
また日舞の師匠に「成田屋に入りたい」と言ったところ、手紙を書くように勧められ、12代目市川團十郎さんに手紙を書き、その後東京で一対一でお話をされたそうです。
その時には大阪から家族での引っ越しが難しいことや、1人で親元を離れられないなどの理由により歌舞伎の世界に入ることはなく、帰ることに。
しかし小学校4年生の時に大阪の日舞のコンテストで「大阪市長賞」を受賞、それがきっかけで片岡愛之助さんに声を掛けられ、小学校6年生の時に子役として歌舞伎の舞台に初めて立ちました。
中学校時代
その後も大阪での舞台がある際には、度々呼んでもらっていたそうです。
そしてこの先の進路を考える際に、東京の歌舞伎俳優研修所に入所することを検討。
しかしその年は募集がなく高校に進学、1年間だけ高校生活を送った後に中退し、歌舞伎俳優研修所に入られました。
歌舞伎俳優研修所時代
第23期生として歌舞伎俳優研修所に入所、9名の同期の方と2年間の研修生活を送られます。
入所して半年経った時に歌舞伎俳優の適性検査があるそうですが、そこまでのお稽古が辛くて辞めてしまう方もいるとか。
市川福五郎さんの同期も、最初は9名でしたが卒業時には6名になってしまったそうです。
【出演舞台】
- 第94回歌舞伎鑑賞教室(2018) 日本振袖始、社会人の為の歌舞伎鑑賞教室
→出雲国簸の川川上の場 大蛇の分身 - 第24回稚魚の会歌舞伎会合同公演(2018)
→寿曽我対面 工藤祐経館の場 大名、勢獅子 若い者
成田屋入門後
2019年に歌舞伎俳優研修所を卒業、成田屋から入門の許諾が下り、4月に成田屋に入門します。
成田屋に入門後、5月の歌舞伎座公演『神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)』の角力が市川福五郎としての初舞台となりました。
2020年1月には8歳の時に見て憧れていたという、「祇園祭礼信仰記~金閣寺」という演目の中の、此下東吉(このしたとうきち=木下藤吉郎、後の豊臣秀吉) と戦って倒される「力者(りきしゃ)」という役を演じ、「ついにここまで来れたんだな」と思って感動されたそうです。
これまでに公表されている市川福五郎さんの経歴に関する情報をまとめてみましたが、生まれてからのほとんどの時間を歌舞伎を目指し、歌舞伎と共に歩まれていますよね。
幼稚園の時に出会ったことにここまで熱くのめり込めえるなんて、たまたまパソコンに流れてきたという歌舞伎の宣伝になんだか運命的なものを感じてしまいます!



まとめ
今回は「市川福五郎の出身高校や中学はどこ?海老蔵弟子のこれまでの経歴!」として、市川福五郎さんの学歴やこれまでの経歴をまとめてみました!
このブログでは他にも市川福五郎さんに関する情報をご紹介していますので、ぜひ併せてご覧ください!
それでは今回は以上になります。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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