更家悠介の経歴やプロフィールを調査!出身や父親についても!

サラヤは創業以来「衛生・環境・健康」に関わる事業を行い、自然由来の成分を使った商品開発にこだわり続けている会社です。

会社名を知らない方でも、「ラカント」「ヤシノミ洗剤」という商品名には覚えがあるのではないでしょうか?

私も会社でよく使用していたヒビスコールやコロロという商品名を聞いて、「あれもこれもサラヤだったのか!」と驚きました!

そんなサラヤで現在社長を務めているのが、2代目の更家悠介さんです!

更家悠介さんは創業者である父・更家章太さんの後を継いで、1998年に社長の座に就きました。

新型コロナウイルスの影響で、今改めて注目されているサラヤ。

今回は「更家悠介の経歴やプロフィールを調査!出身や父親についても!」として、更家悠介さんのこれまでの経歴についてまるっとご紹介したいと思います!

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更家悠介の経歴やプロフィールを調査!

サラヤ株式会社は戦後、当時流行していた赤痢の感染拡大を予防するために手洗いしながら殺菌・消毒ができる石けん液を開発したのが始まりです。

手を洗いながら殺菌・消毒ができる…今は当たり前となっていますが、サラヤが始まりだったんですね!

そんなサラヤの2代目社長、更家悠介さんのこれまでの経歴やプロフィールについてご紹介します!

更家悠介の経歴

更家悠介さんは1951年に三重県で生まれました。

翌年の1952年に父である更家章太さんが大阪で起業するため、家族で大阪に移住したのではないかと考えられます。

1974年(23歳)

大阪大学工学部卒業

1975年(24歳)

カリフォルニア大学バークレー校工学部衛生工学科修士課程修了

1976年(25歳)

サラヤ株式会社入社、取締役工場長 就任

1979年(28歳)

常務取締役 就任

1980年(29歳)

専務取締役 就任

1998年(47歳)

  • 代表取締役社長に就任
  • NPO法人エコデザインネットワーク副理事長、ボルネオ保全トラスト理事などを兼任

更家悠介さんが、大阪大学工学部を卒業後、アメリカカリフォルニア大学で衛生工学を学ばれています。

マナ
衛生工学ってどんな学問??

衛生工学とは、コトバンクによると以下のようなことを学ぶそうです。

人間の身体的,精神的に良好な状態を増進させるために,人間の物理的環境を工学的手段によってコントロールする,技術と学問の体系。
衛生工学は,環境衛生の中核的部分を占めるものであり,保健問題を取扱う他の専門分野の人々との協力がきわめて大切である。
単なる土木工学,建築工学でなく,具体的な仕事における衛生学的意義が明確に理解された工学の一分野として,衛生工学は人間の生活環境の変遷とともに,今後大いに発展が期待される。

(引用元:コトバンク

サラヤ創業者の息子として、サラヤに入社して後を継ぐことをもともと決めていたのでしょうね!

この時学んだことが、工場長の経験や現在でも社長として商品開発に携わっている部分につながっているのではないかと思います!

1998年から社長の座に就かれていますので、既に20年以上社長として活躍されているということになります。

更家悠介のプロフィール!

更家悠介さんは幼い頃から水や自然と親しんできたようで、休日には釣りをしたり水泳をしたりして過ごされているようです!

名前:更家 悠介(さらや ゆうすけ)

生年月日:1951年5月30日 ※2020年10月現在59歳

出身地:三重県

愛読書:西遊記

休日の過ごし方:ぶらぶらする、ゴルフ、水泳

影響を受けた人:ピーター・ドラッガー

更家悠介さんは、テレビ番組「賢者の選択」のインタビューで、影響を受けた人物としてピーター・ドラッガーを挙げています。

ドラッガーといえば現代経営学やマネジメントを発明した人ですが、生まれた時から経営者になることが決まっていたような更家悠介さん。

ドラッガーから学んだことが、現在のサラヤの経営に生かされているのかもしれません!

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更家悠介の出身や父親はどんな人?

ではもう少し掘り下げて、更家悠介さんの出身地やサラヤ創業者であるお父様についてみていきましょう!

更家悠介の出身地は三重県!

更家悠介さんの出身地は、三重県ということだけが明らかになっています。

しかし「ビズサプリ」というインタビューの中で、創業者である父親の更家章太さんが「ずっと熊野川支流の山村に住んでいた」と話されていますので、更家悠介さんもそちらで出生されたのではないかと考えられます。

熊野川は、奈良県、和歌山県および三重県を流れる新宮川水系の本流で一級河川です。

下流の熊野本宮大社と熊野速玉大社間の流域は、紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されています。

調べたところ、更家章太さんは三重県育生町の生まれだということが分かりました。

おそらく更家悠介さんもこちらの出身なのではないかと考えられます。

更家悠介の父親・更家章太はどんな人?

 サラヤ株式会社の創業者である更家章太さんは、更家悠介さんが誕生した1年後の1952年に大阪に出て起業しました。

更家章太さんの人柄について更家悠介さんは、「気が強い面がある」「完全にものづくりの人」と話されています。

2代目として「経営の最大の壁はオヤジ」と言われるくらい、先代が社長だった頃は経営方針について幾度となく対立したようです。

更家章太さんのプロフィールをまとめてご紹介しますね!

名前:更家 章太

生年月日:大正13年4月29日

出身:三重県育生町

学歴:

  • 三重工業学校(三重県・松阪工業高校の前身)
  • 大阪専門学校(近畿大学の前身)

更家章太さんは1952年28歳の時、サラヤ株式会社の前進である三恵薬糧を大阪で創業。

赤痢予防の目的で手洗いをしながら殺菌・消毒ができる、緑色の薬用手洗いせっけん液と専用容器を日本で初めて開発、販売しました。

創業の頃からデザイン、ものづくり、販売の全てを自身で行っていたそうで、更家悠介さんがおっしゃるように根っからの「ものづくりの人」だったようです。

また、更家章太さんが生まれ育った育生町を流れる熊野の清流は、”自然由来の原料を使用した商品開発へのこだわり”というサラヤのDNAとなって今も脈々と受け継がれています!

まとめ

今回は「更家悠介の経歴やプロフィールを調査!出身や父親についても!」として、サラヤ株式会社の2代目社長である更家悠介さんについてご紹介しました!

更家悠介さんは三重県の出身

更家悠介さんは大阪大学、カリフォルニア大学を経て、1976年にサラヤに入社

お父様の更家章太さんは根っからの「ものづくりの人」

更家章太さんが現役の頃は経営方針について度々対立していた

お父様とはたびたび対立していたということですが、お父様が大切にしていた自然へのこだわりもしっかりと受け継ぎつつ、2代目として海外進出など新しいことへも果敢にチャレンジされている更家悠介さん!

サラヤが今後どのような成長を遂げるのか、とても楽しみですね!

それでは今回は以上になります。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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